一般部 主婦
空手の動きは一見シンプルに見えます。しかし、実際にやってみると、余計な箇所に力が入っていたり、大切な箇所に力が入らなかったり、左右同じようにやっているつもりが全く違う動きになっていたり…無意識のうちに体についた悪いクセが、空手を通すとあっさりと白日の下にさらされてしまいます。クセを直すのは大変ですが、意識を持って修正していくことによって次第に体の感覚がアップし、体が整っていくのを感じます。この感覚は、空手を習っていなかったら感じることは無かったのかも?と思うことがあります。体だけでなく心も同じで、心身ともに自分と向き合う機会に恵まれています。研ぎ澄まされた動きに魅せられて、興味だけで入った空手の世界。今では私の一部になっているようです。
小学生 男子
ぼくは幼稚園の年中から空手を始めました。始めは小学生の先輩たちが強そうでこわく感じたけれど、やさしく話したり教えたりしてくれたので、本当にこわくなかったです。今、幼年部の子といっしょに稽古をしていると、とても小さくて、自分もこんなに小さかったのかと、ふしぎな気持ちになる時もあります。
スパーリングでは自分の考えた作戦が成功すると、とてもうれしくなります。ミットを使った突きや蹴りの稽古で良い音がするとうれしくなって、もっと練習したくなります。これからも空手をがんばっていきたいです。
一般部 女子高校生
私は入門してからの4年間を通して、空手とは自分を見直し、振り返ることが大切なスポーツだということを強く感じました。
私は、中学1年生という比較的遅い時期から極真空手を習い始め、友人からの誘いを受け入門しました。
そして中学二年生のときに初めて選手クラスに参加しました。案の定、毎回難なくメニューをこなしていく選手達を前に憔悴しきるのが常でしたが、最後までやり抜くことで強い達成感を得ていました。
しかし、高校に入ってからは様々な黒帯の先輩方とさらに質の高い稽古を共にする機会を得ることが増え、自分にとって必要だったことや足りないことが次から次へと浮き彫りになりました。そこで初めて、空手の稽古は、組手や型の上達に必要なんだと心から理解することが出来ました。
今思えば、中学生時代の自分は稽古に食らいつき、がむしゃらにやり切ることが最終目標のようになっていて、空手を稽古するということの本質を見失っていたように思います。 勿論、苦しい稽古に一生懸命取り組むことはとても大切ですが、それ以上に組手や型では自分の頭で考えながら、自分の欠点を炙り出し次の成長に繋げることが必要不可欠と学びました。これは最近でもよく痛感することです。今後はこの気づきから更に強くなれるように、日々精進していきたいです。
壮年部 会社員
押忍!五十路を過ぎ入門してから早9年目を迎えようとしています。最近、複数の型試合の出場機会を賜り、目標を持って臨むことでより充実した稽古が出来ていることを実感しています。
こうした中、型稽古を重ねるにつれ、様々な課題が見出され、型の奥深さを感じています。型試合に向けた稽古を通じ、型を構成する技の順番や技の動きを概ね理解することに留まることなく、実戦(相手)を想定した上で、技の狙いを理解し、技の正確性や技間の連動性を確保するための身のこなし、また、これらの動きを体現するために、軸の意識、体重移動、脱力等々の様々な要素が関連していることが、先生、先輩方のご指導や実体験を通じ理解が進み、目から鱗が落ちる心境です。
ただし、頭の中で理解できたとしても一朝一夕に上達するものではありませんので、まずは現状の自分自身の心技体の現状に向き合うとともに、弱点等を見出し、取組み方を考えながら、焦らず反復することを念頭に稽古に臨んでいます。また、奥が深いからこそ探求していくことの楽しみもあり、空手を継続したいといったモチベーション向上にも繋がっていると感じています。
こうした取組みを実践することで、僅かではありますが基本や移動の上達や、型を意識した基本、移動を行う意識が芽生え、其々の稽古が相互に作用し良い方向に働いている気づきもあります。さらに、これまで苦手であった技が組手試合で有効打となったり、組手にも好影響をもたらしています。こうした体験から型試合へ挑戦することにより、新たな発見や楽しく稽古ができることに大変有り難く思う次第です。皆様、型試合への挑戦お勧めします。
最後に、こうしてやりがいをもって空手の稽古ができるのも先生、先輩方、同志など道場に関連する皆様のお陰であり、心より感謝申し上げます。引き続き、よろしくお願い致します。押忍!
一般部 男子大学生
私は空手という武道を通じて、多くのことを学びました。私が極真空手に入門したのは、幼稚園の年中であり、「試合に勝てばメダルが貰える」という単純な動機で空手を始めました。入門当初は、空手が嫌いで、稽古が始まる前に泣いていたことをよく覚えています。その空手嫌いは、中学生になる頃まで続き、何度も空手をやめようと思いました。フルコンタクトである極真空手の稽古は私にとって、痛い、きつい、楽しくないの連続でした。しかし、そんなきつい稽古だからこそ感じられる、達成感はとても大きかったです。私が、空手をやる意味を見出だしたのは、昇段審査を受験した頃かもしれません。黒帯を取得するのに、13年。決して、順風満帆な黒帯取得とは言えないが、13年間という長い期間、一つのことをやり続けてきたという意味では自分にとって、大きな自信となりました。まさに、私にとって空手は人生の一部であり、空手から学ぶことは多いです。苦しいことには、必ず意味があることを知っているからこそ、日々挑戦し続けることができています。空手は、技術的な側面にとどまらず人生観や忍耐力など様々な側面を育むことができると考えます。最後に、今日まで、空手を通じて多くの気付き与えて下さった先生方、ここまでに空手を続けさてくれた両親に感謝したいです。